第Ⅱ章 湖南編④ 八幡山城

豊臣秀次の城、八幡山城

2018年4月5日、前稿の古城山城をあとにした筆者らは時間が押してきたため、急ぎ八幡山城へと向かった。八幡山城山麓に到着した時には、すでに16時をすぎていた。八幡山ロープウェーで山上の城に向かうことにしたが、下り最終のロープウェーの時間を考えれば山上での見学時間は限られていた。
八幡山城近江八幡市八幡山(鶴翼山)山頂を中心に築かれた近世城郭である。
山麓からの比高差は180mを測るが、上述した八幡山ロープウェーが山上まで9:00から17:00までの間、毎時15分間隔で運行している。

(登りは16時30分が最終。なお現在2020年5月31日までは新型コロナ対策のため運航休止)

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八幡山城案内板

山頂駅に降り立つと、上看板が設置されていた。山頂駅から八幡山城各所への目安の時間が書かれている。

八幡山城と八幡堀

天正13年(1585)羽柴秀吉織田信長の居城、安土城を廃城とした。近江に甥の羽柴秀次に宿老領を含めて43万石を与え、安土城西方に位置する八幡山に新城を築かせて城主とした。
安土の城下町は八幡山の南方へと移転させ、新たに八幡山城の城下町を形成した。その際、城下に琵琶湖と連結させた水堀、八幡堀を開削している。八幡堀は城の防御としての機能とともに運河としても利用され、湖上水運によって物資の運搬が円滑になり、城下町の発展に大きく寄与した。さらに堀で区画することで居住区を分けるのにも利用された。
余談にはなるが20年ほど前に筆者は、八幡堀界隈の和食店で昼食をとった。八幡堀は陸上交通の発達した昭和の中頃には廃れていたが、保存整備運動が盛んになった近年では観光名所となっている。
和食店は堀に面した蔵を改築したような佇まいで、昔ながらの風情が漂っていた。
天正18年(1590)秀次は尾張清州に転封となり、代わって京極高次が2万8千石で入城。文禄4年(1595)秀次が高野山で自害した後、京極高次は大津城に移り、八幡山城は破却された。この秀次の自害と八幡山城等の破却については次稿の秀次館でもふれてみたい。

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村雲御所瑞龍寺門跡の碑

筆者らは残された見学時間の関係から、まずは本丸に向かうことにした。途中、二の丸から本丸に入る際に「村雲御所瑞龍寺門跡」の碑があった。

村雲御所瑞龍寺門跡

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本丸に位置する瑞龍寺

現在、八幡山城の本丸には日蓮宗唯一の門跡寺院である瑞龍寺がある。
瑞龍寺は文禄5年(1596)に秀次らの菩提を弔うために、その母である日秀尼が後陽成天皇より嵯峨の村雲に寺地と寺号、さらに寺領1000石を与えられ、建立した。
のちに勅願所ともなり、別名を村雲御所と言われる。
江戸時代には京都の嵯峨から西陣(今出川堀川)に移転し、昭和36年(1961)に当地へ移された。
そのため本丸部は城郭としての佇まいは残してはいない。
移築に先だった発掘調査では、建物礎石、瓦、土器が検出されたという。今は残されないが本丸には天守台があり、建てられた天守は大津城に移築されたという。
その天守は大津城が廃城になった際、さらに彦根城へと移築されたという。

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本丸内枡形虎口

本丸の出入り口は織豊系城郭らしく内枡形虎口が残されている。

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本丸虎口の石垣

本丸虎口部の石垣である。隅部は算木積みとなっており、天正年間中頃のものである。
続いて筆者らは二の丸から北の丸方向へと向かうことにした。

八幡山城の遺構を見て回る

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本丸の石垣

北の丸に向かう通路を歩くと左手に本丸の石垣が見られる。
隅部は方形に加工した石材が用いられるのに対し、隅角部以外の築石部は自然石や不揃いな割石で構成されている。

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北の丸

長方形の形状で、北側には堀切が穿たれ尾根筋にハイキングコースが続く。それを辿ると六角氏の中世城郭、北の庄城に至るという。

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西の丸


恋人の聖地プロジェクトということで、城内各所に様々なモニュメントが設置されている。特に、この西の丸のモニュメントは目立つように作られていた。
筆者は当城に訪れるのは3度目であるが以前にはこのようなものはなかった。
時が変われば城も変わるということだが、これには賛否両論がありそうである。
この西の丸から続く、南の尾根には出丸が築かれているが今回は時間の都合で見学できなかった。

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西の丸からの遠望

近江富士が遠くに見える。

さて下りロープウェー最終の時間までは、あと10分もない。
筆者らは急ぎロープウェーに飛び乗って山麓へと降り、秀次館へと向かった。