讃岐と伊予の名城めぐりへ
2020年8月25日から26日の予定で、兵庫県と大阪府に在住の歴史サークル戦国倶楽部のS氏とT氏とともに四国讃岐と伊予の城めぐりに訪れた。両氏との付き合いは2009年に小谷城を訪れて以来であるので、10年以上になる。今まで城巡りや懇親会など、戦国倶楽部で楽しい時間をともにすごしてきた。10年を超える月日、あらためて感じたのは、あたりまえのことだが私を含めて年をとったな、ということである。今回のプランは以前よりS氏より度々話があったが、日程などの都合があり実現することができずにいた。訪問予定の城は筆者は宇和島城を除き、すでに訪問済みであったが再度訪れてみれば新たな知見も得られるだろうし、何よりも仲間同士で語り合いながら見学するのが楽しい。
兵庫県内で集合した筆者らは、淡路島を経由して四国へと向かった。まず最初に訪れる予定としていたのは丸亀城だが、その前に腹ごしらえである。讃岐名物と言えば、うどんであろう。2010年にS氏とともに丸亀城、高松城に訪れたことがあり、その際に讃岐うどんの名店をいくつか食べ歩いた。しかし、その際に食べた讃岐うどんには、あまり良い印象がない。この時に受けた自分の印象が正しいのかを、もう一度再確認するという意味でも讃岐うどんを食べてみるのが楽しみである。車内でS氏が名店をチョイス。丸亀市内の綿谷さんに訪れた。肉うどんで有名なお店だが筆者はシンプルに冷やしうどんを選んだ。まず驚いたのが、その量である。小を注文してはいたが、普通のうどん店の大盛りの量である。麺にはこしがあり、麺つゆは出汁が効いて美味しい。珍しく、すだちではなくレモンが添えてある。麺つゆに絞って入れるとさっぱりとして、更に美味しく食べれた。筆者の讃岐うどんに対する認識は店を出る頃には変わっていた。
丸亀城へ
腹ごしらえを済ませた後、丸亀城へと向かった。到着後、まず筆者らは城内にある丸亀市立資料館に立ち寄った。館内には丸亀城に関わる資料や武具等が展示されている。
丸亀城は、独立丘陵である亀山に本丸から三の丸といった総石垣作りの主要部を築き、藩主の居館を山麓に築いていた。それらの周囲は満々と水を湛えた内堀で囲み、その外側には外堀で囲まれた武家屋敷があったという。外堀は一部は公園化され名残を残すものの昭和に埋め立てられ、武家屋敷のあった場所は今は市街地と化している。
丸亀城史
室町時代、亀山には守護細川氏の被官、奈良氏が砦を構えていたという。近世城郭としての丸亀城は、慶長2年の生駒氏による高松城の支城としての築城にはじまる。生駒親正、一正父子による丸亀城築城は5年の歳月をかけ慶長7年に完成した。佐藤掃部が城代に任じられたが、元和元年の一国一城令により丸亀城は廃城となった。しかし実際には生駒氏は城の破却を行わず樹木で覆い立ち入りを制限することで城を隠していたという。寛永18年、山崎家治が肥前富岡より丸亀に加増転封されると家治は幕府の許可を受け丸亀城の改修・再建に着手。現在残る縄張や石垣は、その際に築かれたものが多い。山崎氏が世継ぎなく改易となった後、万治元年に播州龍野より京極高和が入り丸亀城の改修が完了した。以降、京極氏7代を経て明治維新をむかえている。
丸亀城を見学
大手の巨大な内枡形虎口を見学した後、見返り坂から山上主要部へと向かった。
やがて三の丸の石垣が見えてきた。石垣は扇の勾配と呼ばれる美しい曲線美を放つ。
左手には櫓台があったが、石垣の上部と下部の色は違って見える。おそらく上部は修復で積みなおされたのではないだろうか。
三の丸に入り、月見櫓跡に向かってみた。そこからは、讃岐富士がよく見える。
塁線部を見てみると櫓台の張り出しが重なり、合横矢を形成しているのがわかる。
また三の丸内部には江戸麻布にあった京極高朗の隠居部屋、延寿閣の一部、延寿閣別館が移築保存されている。
外桝形虎口より二の丸に入ってみた。二の丸は本丸の1段下にあり、ほぼ正方形の曲輪である。
南側の五番櫓は石垣より張り出し、横矢枡形の機能も持ち合わせていたと考えられる。では、本丸跡に上がってみよう。
本丸跡には現存12天守の内の一つである3層の天守がある。往時は天守は4基の櫓と渡櫓で結ばれていた。
筆者らは搦手方面より下山し、山麓の資料館に停めていた車へと向かったが途中、崩落した石垣と修復現場が見えた。平成30年の豪雨と台風で崩落したという。
積まれていた石垣がズルっと滑り落ちたという風に見える。
鹿島建設による修復作業が進められているが石垣に一つ一つ番号を割り振り、元にあった場所に戻すという作業である。
最新技術を用いて作業を進めているとはいえ気の遠くなりそうなものである。
筆者らは丸亀城をあとにし一路、S氏の運転のもと130㎞西方にある松山城へと向かった。
扇の勾配、現存12天守の一つに数えられる天守、様々な文化財に指定される建築物。どれをとっても素晴らしく心躍る城に違いない。しかし筆者は3度目の訪城ということ、また寝不足による眠気が襲っていたこともあり感動を覚えることができなかった。一通り見学し、山麓に降り立った筆者らはT氏の寺院における家紋散策に同行させてもらった後、伊予守護・河野氏の居城、湯築城へと向かった。
こちらも筆者にとっては再訪であったが綺麗に整備された復元建物、考古成果に基づく遺構の復元整備、以前訪れた時には感じなかった感覚を覚えた。そして本日の宿がある道後温泉へと向かった。日本三古湯の一つに数えられる道後温泉は、筆者にとってなじみ深い山間部にある有馬温泉と一線を画し市街地の中にあった。宿泊する道後館は故・黒川紀章氏がデザインし、外観は船の形を模しているという。チェックインすると、まず温泉に向かった。熱い湯、ぬるめの湯、露天と3種の温泉を楽しんだ。
夕食は地場産の食材を使った豪華なもので、どれも美味しかった。
食後は温泉街を歩いたが、なかでも道後温泉本館(明治に竣工、道後温泉の象徴的な建物)のイルミネーションが美しく筆者らは立ち止まり時を忘れたかのように、それを眺めた。宿に戻った筆者らは、今日の出来事や明日のこと、また色々な企画をしたいなどと色々な話をしたい気持ちもあったが、明日の城巡りと帰還に備えるため就寝することとなった。
続く